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2025/02/26

正直者はバカをみる?

Image-14 「正直者はバカをみる」とは、世の中には不正やごまかしをする人が得をする場面がある、という経験則から生まれた言葉。
確かに、正直であるがゆえに損をしたり、不利な立場に置かれることもある。
しかし、それは本当に「バカをみている」ことなのだろうか?

仕事をまじめにやっているのに、手を抜いている同僚のほうが評価される。
約束を守っているのに、他の人は破って得をしている。
お金や人間関係で損をすることがある。
こうした経験をすると、「正直にしている自分がバカをみているのでは?」と感じるのも無理はない。

なので、確かに短期的にはバカをみることもあるのが事実だが、正直であることが長期的に見れば「信用」という形で大きな価値を生むのもまた事実。

短期的には損をすることがあっても、最終的には「信頼される人」のほうが多くの良い機会に恵まれるので、正直者がバカをみるのではなく、正直者だからこそ築けるものがある。

長期的には信頼が財産になるので、堂々と正直者であれ!

2025/02/21

共感と協力を引き寄せる。

Image-13 前回の「好き」を声に出すことについて、もう一つ追加。

人に「○○が好き」と言うことで、周囲の人が共感し、助けてくれることがある。
例えば、「○○をやりたい」と言ったら、「それならこういう人を紹介しようか?」と言ってくれる人が現れるように。

夢を実現するには環境も大きく影響するため、言葉にすることで「共感」と「協力」を引き寄せ、良い環境が整う可能性が高まるので、やっぱり「好き」は声に出すことが大切なのである。

2025/02/14

「好き」を声に出す。

Image-12 「好き」を声に出すことで、夢は実現しやすくなる。

なぜなら、「好き」や「やりたいこと」を口に出すことで、脳がその情報を優先的に処理するようになり、それに関する情報が自然と目に入るようになり、行動の選択肢が広がるから。
これを「カクテルパーティー効果」と呼ぶ。

また、「自分は○○が好き」と繰り返し言葉にすると、無意識のうちに「できる」と思い、実際にその方向に努力するようになり、成功しやすくもなる。
これを「自己成就予言(self-fulfilling prophecy)」と呼ぶ。

さらに、RAS(網様体賦活系)という脳の機能は、重要な情報に注意を向ける役割を持ち、「○○が好き」と口にすることで、それに関連する情報やチャンスを自然とキャッチしやすくなる。
たとえば、「海外で働きたい」と言っている人は、海外に関する情報を見つけやすくなったり、そういう話題の人と出会いやすくなったりする。

加えて、人間は単に頭の中で考えているだけよりも、言葉に出すことで記憶や意識に定着しやすくなる。
これは「アウトプット効果」と呼ぶ。

このように、「好き」を口にすることで、脳が関連情報をキャッチしやすくなり、自分の行動が変わり、チャンスを逃しにくくなり、目標が明確になり実現しやすくなるので、「好き」を声に出すと夢が実現しやすくなるのである。

2025/02/07

メディアの正義。

Image-9 メディアの役割には、「権力の監視」と「社会の公正を保つこと」がある。
しかし、その追及が過剰になり、「弱い立場の人を叩く」という形になってしまうと、それは「正義」ではなく「リンチ」である。

不正を暴き、社会に真実を伝えることが使命であり、過剰な批判や一方的な断罪によって、報道対象者の尊厳を損なうことはメディアの暴走である。

歴史的にも、社会正義の名のもとに行われた「魔女狩り」や「粛清」など、多くの悲劇があった。
メディア報道も、それが「見せしめ」や「集団ヒステリー」のようになってしまうと、それは正義ではなく単なる攻撃である。

特に、最近はSNSの影響で「社会的制裁」が加速しやすくなり、一度メディアに叩かれると、個人の人生が取り返しのつかないほど傷つくこともある。

我々視聴者は、報道に接する際には常日頃「これは本当に正義なのか?」と問い続けることが、今の時代には特に必要なのかもしれない。

2025/02/01

正義。

Adobestock_1159840690 そもそも正義って何だろう。

「正義とは何か?」という問いは、哲学や倫理学の根本的なテーマの一つであり、時代や文化、立場によって異なる答えが存在している。

正義とは、一般的には「道理にかなった公平なこと」とされているが、法的正義なら国や地域によって法律が異なるので、一国の「正義」が別の国では「不正」とされることもあるし、道徳的正義なら個人や社会・宗教等によって異なる道徳観があるため、正義の基準が統一されるとは限らないし、社会的正義なら社会を変革するための手段に暴力を伴うことを正義と見るか否かは意見が分かれるところである。

歴史を振り返ると、「正義の名のもとに行われた行為」が、後になって不正義と見なされることは数多くある。

戦争においては、勝者側の戦争は「正義の戦い」とされるが、敗者側にとっては侵略や抑圧となる。
十字軍や第二次世界大戦など、多くの戦争が「正義」を理由に始まったが、その実態はどうだったか?
革命においても、フランス革命やロシア革命は「民衆の正義」として始まったが、多くの犠牲を生んだ。
正義の追求が暴力や粛清につながることもある。

なので、正義は絶対的なものではなく、その正義が他者にどのような影響を与えるのか、多様な視点を持つことが重要なのである。

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