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2014/03/31

最近の若い者はまったく…。

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最近の若い者はまったく…」と言われ続けてきたボクだが、ここしばらく言われなくなったなぁと思ってたら、この数年はボクが同じフレーズを言ってたことに気が付いた。

まあ、それだけ大人(というか中年)になったってことだが、世代間のギャップってのはやっぱりあるものなのだなぁ~。

世代間ギャップってのは、“あたりまえ”の共有ができない状態であると言うこと。

ただ、このギャップにも2つのタイプがある。
それは、その時代特有の世情や話題だからの場合と、「最近の若い者はまったく…」と言ってる側の“あたりまえ”が変化している場合とである。

その時代特有の場合は、そりゃその経験をしていないのだから、言われてる若者にはわかるハズもない。
戦時中で食うに困った話をされても、バブル時代に豪遊した話をされても、「はあ、そうですか」以外の何物でもないのはあたりまえだ。

一方、言ってる側の“あたりまえ”が変化している場合は、もう一度若かった頃の自分を俯瞰で眺めてみてほしい。
あなたが今苛立っている最近の若い者と、実は大差ないのではなかろうか?

名将山本五十六の言葉にこんなのがある。

実年者は、今どきの若い者などということを絶対に言うな。
なぜなら、われわれ実年者が若かった時に同じことを言われたはずだ。
今どきの若者は全くしょうがない、年長者に対して礼儀を知らぬ、道で会っても挨拶もしない、いったい日本はどうなるのだ、などと言われたものだ。
その若者が、こうして年を取ったまでだ。
だから、実年者は若者が何をしたか、などと言うな。
何ができるか、とその可能性を発見してやってくれ。

70年以上前の世代の若者も、やっぱり同じことを言われてきたわけだ。

なので、やっぱり若者の可能性を発見できるような実年者になれるよう、自分を鍛錬するしかないようだ…。

PHOTO:© akiyoko - Fotolia.com

2014/03/22

出過ぎた杭は打たれない。

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前回、出る杭を叩く件について語ったら、これを読んだとある人から、「出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打たれないもんだぞ」と言われた。

出る杭は中途半端に出てきてはリーダーのやり方を批判し、勝手な行動を取るくせに、責任感に欠け、中途半端な状態で放り投げたり、自分に責任が降りかかりそうになると逃げ出したりして、周りのまじめな《出ない杭》たちに悪影響を与えるから、やっぱり無責任な《出る杭》は打たないと組織が崩壊してしまうんだそうな。

なるほど、その通りだ。

《出過ぎた杭》になれば叩かれないのに、そこまでなろうとは思わない。
「その立場ならやるよ」とか言いながら、じゃあやれよと言うと「自分の役割ではない」と逃げるヤツ、確かに居る居る!

《出過ぎた杭》なら、見る人が見れば叩かないだろうし、もし間違って叩かれたとしてもそう簡単に引っ込みやしないよな。

「オレって《出る杭》だからすぐ打たれるんだよな」とか言っている人!
《出過ぎた杭》になれば打たれないんだから、打たれることを恐れず責任感を持って行動できる《出過ぎた杭》になりなよ!

今ここで反論や言い訳をした《出る杭》な人は、残念ながら《出過ぎた杭》にはなれない《ただの出る杭》なので、早いうちに《出ない杭》にまで戻ることを強くオススメする。

PHOTO:© CYCLONEPROJECT - Fotolia.com

2014/03/14

出る杭。

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日本人の悪い国民性「出る杭を打つ」。

これは、明治以降の日本の教育そのものが、封建的制度を撤廃し、富国強兵をめざして殖産興業に力をそそぎ、近代産業の育成をはかる目的のため、表に出ずしっかり杭としての機能を果たしてくれる人材である《出ない杭》を大量に育てようとしていたからとも言われている。

ただ、戦後の高度経済成長を最後に、《出ない杭》が大量にいれば良かった時代は少しずつ変化し、今やグローバリズムのもと、日本も《出る杭》がグイグイ引っ張ってくれないとならない時代にとうになっている。

「輪を乱す」と叩かれる《出る杭》だが、もっと温かい目で見守ってあげられる心の広い《出ない杭》にボクはなりたい。

PHOTO:© FomaA - Fotolia.com

2014/03/03

自由と権利。

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自由には責任が、権利には義務が伴い、これは表裏一体不可分なもの。

なのに、前者を声高に求める人ほど、後者を蔑にしている気がする。

ってか、そういう人は、後者は自分には関係ないと思っているのかもしれない。

でも、責任と義務が伴うからこそ、自由と権利は尊く重いものなのであって、責任も義務も伴わない自由や権利は、ただの自分勝手でしかないのであり、そこには何も価値はないのである。

PHOTO:© MasterLu - Fotolia.com

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