教育における公平性と競争。
日本では、最低限の教育を受ける機会は公平である。
だが、習い事やお受験など、親の考え方や収入によって教育を受ける度合いは千差万別であり、より良い教育を受けるためには、オギャーと生まれた瞬間から熾烈な競争原理が働くのである。
「人間は平等だ!」と叫んでも、これはまぎれもない事実であり、仕方の無いこと。
なので、やはりヘタな公平論は偽善でしかない。
現実は厳しいのだ。
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日本では、最低限の教育を受ける機会は公平である。
だが、習い事やお受験など、親の考え方や収入によって教育を受ける度合いは千差万別であり、より良い教育を受けるためには、オギャーと生まれた瞬間から熾烈な競争原理が働くのである。
「人間は平等だ!」と叫んでも、これはまぎれもない事実であり、仕方の無いこと。
なので、やはりヘタな公平論は偽善でしかない。
現実は厳しいのだ。
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でも、こと経営判断においては、時にはその場で即断即決をせねばならない。
事実、社長就任からこの10ヶ月程度の間でも、この即決を躊躇したばかりに、残念な結果になってしまったことも多々…。
なので、もっとスピード感を持って、即断即決してゆきたい。
きっと悩んでいるということは、基本的にはボク、「やりたい」んだと思う。
ならば、どうせ後悔するにしても、「やりたいことをやった後の後悔」より「やりたいことをやらないで悔いる後悔」の方が大きいと思うから。
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