悪魔の証明。
だって、お金を借りる際は借用書等々で記録を残すだろうけど、借りていないことを証明するモノは、わざわざ用意することをしないから。
これ、いわゆる「悪魔の証明」ってやつで、基本的に絶対証明できないもの。
なので、これを要求されたら門前払いすればイイだけで、それでもしつこく言って来るのなら、堂々と司法の場で争えば良い。
間違っても、「本当は借りてないけどうるさいから払おう」なんて思ってはいけないし、そもそもそう思う人は少ないだろう。
なのに、こと外交問題となると、大抵の日本人はこの「悪魔の証明」に素直にはまってしまう。
あえて何とは言わないが、「そのことがなかったと言うのなら、それを証明してみろ!」と言われても、それは証明のしようがない。
で、「だから日本は悪いことをした!」と言われて、本当にあなたは納得できるのだろうか?
そもそも、「悪魔の証明」を求めてくる側は、事の本質を解決する気がないのだから、付き合う必要はない。
だって向こうは「千年経っても変わらない」と明言しちゃってるわけだし…。
PHOTO:© sakura - Fotolia.com
2013/08/23
十分な謝罪。
「十分な謝罪を!」とか「誠意を見せろ!」とか、定量化できないモノを要求されたって、何を、いつまで、どれだけやったら十分なのかが計り知れないので、いつまでもエンドレスに因縁をつけられ続けるだけ。
だからこそ、「法による和解と解決」という知恵があるのだ。
謝罪を要求する側が「法による和解と解決」を否定する場合、何らかの打算があるとみて良い。
なので、そんな話には付き合わないのがイチバン!
それは、ただのケンカやお金の貸し借りから外交問題まで、どんな場合でも一緒で、相手にするだけムダなのである。
PHOTO:© ツルカメデザイン - Fotolia.com
2013/08/15
会津藩。
ボクのルーツは会津。
なので現在放映中の大河ドラマ「八重の桜」はマストビューなのだが、観れば観るほど、会津藩の無策ぶりが気になる。
最後まで自領に新政府軍の侵入を許さなかった庄内藩と比べると、会津藩はどうもいただけない。
勝算なき戦で戦禍を被り、その後の悲惨な状況を強いられた領民には同情するものの、松平容保をはじめとする首脳陣には同情できない。
戦は避けなければならないし、避けられないなら勝たなければならないのだ。
PHOTO:© norikazu - Fotolia.com
2013/08/11
放棄。
某有名ミュージシャンが、戦争放棄をテーマにした歌を披露していた。
でも、戦争を放棄したからって、戦争が自分を放棄してくれるとは限らないのでは?
戦争は放棄するのではなく排除するべきもので、嫌なモノを遠ざけて考えないようにするだけではダメ。
嫌だからこそ常に最悪の状態を考慮し、そうならないように努力するとともに、そうなった場合にも対処できる準備をしておくのが正しいのでは?
PHOTO:© kuppa - Fotolia.com
2013/08/07
も少し寛容な心を。
子どもと手をつないでエスカレーターに乗っていると、下からズンズン駆け上がって来る人がいる。
なので通れるように譲ることになるのだが、行く手を塞いだこっちが悪いかのように「チッ」って舌打ちするのはどうなのよ?
そもそも、子どもの安全のために手をつないで並んでエスカレーターに乗るのはあたりまえのこと。
せめて子どもに対してくらい、も少し寛容な心を持っても良いのでは?
PHOTO:© xy - Fotolia.com
2013/08/03
嘘。
嘘をついてバレちゃったヤツで、「もうない?」と聞いて「ウン」と答えたのに、その後に更なる嘘が露呈するヤツがいる。
最初の段階で全てをさらけ出せば、逆に信用に繋がる場合もあるのだが、もうこうなると、この人の全てが信用できなくなる。
嘘をつくならつき通せ!
つき通せないなら嘘はつくな!!
photo © nami66 - Fotolia.com