差別される理由。
散々「差別はイケナイ!」と言っておきながら何だが、差別される側に問題があることも確かにある場合がある。
例えば、実家から野菜が大量に届いたのでご近所にお裾分けしたとしよう。
このとき、町内会全員に配るほどは無いので、日頃から付き合いの深い人や、最近何かでお世話になった人など数人を見繕ってあなたは配ることだろう。
そんな時、同じ町内会だという理由だけで、「なんでウチだけもらえないの?差別だっ!」と言って来る人がいたら、あなたはどう思うだろう?
人が人に物をあげるのは、相手が喜ぶことにより自分が良い気分になりたいから。
なので、良い気分になれない人にはあげたくないもの。
ましてや、もらえるのが当然の権利のように主張して来るような輩には、どんなに野菜が余っていたとしても、絶対あげるもんかと思うのが人ってもの。
先述の『差別と区別』で言えば、これは区別であって差別ではない。
それを「差別だっ!」と都度言われてたら、逆にどんどん区別は選別になり、最終的には本当に差別の対象になってしまうのではないだろうか?
確かに、『この人にあげないとうるさいからなぁ~』と言う理由でもらえることもあるだろうが、それは所謂“たかり”であり、『物をもらう』という目的は達成できるが、そのかわりに失うモノも多い。
まあ、“たかり”ができる人はそんなモノを失うことなんかどうでもイイのかもしれないが…。
PHOTO:© kazoka303030 - Fotolia.com
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