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2013/04/26

他人の幸せを喜ぶ。

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某ファミリーレストランにいると、突然、ハッピーバースデーの歌声が聞こえてきた。

どうやら向かい側のテーブルに誕生日の人が居るらしく、友達が祝ってあげているようだ。

このお店は誕生日の人を祝うサービスがあるらしく、店員さんも一緒になって歌っている。

そして、歌い終わったあとはみんなで拍手をしている。

こんなとき、あなたならどうする?

ボクなら間違いなく一緒に拍手をしている。

その場の雰囲気次第では、「ヒュー」とか「オメデトー」とかって奇声をあげているかもしれない。

こういう時はひとごとだと思ってシカトをせず、一緒になって拍手をしてあげよう!

他人の幸せを素直に喜べる人は、きっと自分も幸せになれるハズだから。

PHOTO:© paylessimages - Fotolia.com

2013/04/12

差別される理由。

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散々「差別はイケナイ!」と言っておきながら何だが、差別される側に問題があることも確かにある場合がある。

例えば、実家から野菜が大量に届いたのでご近所にお裾分けしたとしよう。

このとき、町内会全員に配るほどは無いので、日頃から付き合いの深い人や、最近何かでお世話になった人など数人を見繕ってあなたは配ることだろう。

そんな時、同じ町内会だという理由だけで、「なんでウチだけもらえないの?差別だっ!」と言って来る人がいたら、あなたはどう思うだろう?

人が人に物をあげるのは、相手が喜ぶことにより自分が良い気分になりたいから。

なので、良い気分になれない人にはあげたくないもの。

ましてや、もらえるのが当然の権利のように主張して来るような輩には、どんなに野菜が余っていたとしても、絶対あげるもんかと思うのが人ってもの。

先述の『差別と区別』で言えば、これは区別であって差別ではない。

それを「差別だっ!」と都度言われてたら、逆にどんどん区別は選別になり、最終的には本当に差別の対象になってしまうのではないだろうか?

確かに、『この人にあげないとうるさいからなぁ~』と言う理由でもらえることもあるだろうが、それは所謂“たかり”であり、『物をもらう』という目的は達成できるが、そのかわりに失うモノも多い。

まあ、“たかり”ができる人はそんなモノを失うことなんかどうでもイイのかもしれないが…。

PHOTO:© kazoka303030 - Fotolia.com

2013/04/01

差別と区別。

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差別は上下にランク付けをし、下のモノを蔑むこと。
区別は左右に区分し、「違い」として認識すること。

どちらも同じ区分することなのだが、それを上下に見るか左右に見るかで違ってくるのだ。

PHOTO:© Franz Pfluegl - Fotolia.com

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