タンブン。
前々回からの続きになるが、なぜ奥さんの国タイでは、平等イコール公平にならないのかを考えたら、タイにはタンブン(徳を積む)という仏教的概念があって、この言葉が『公平』の意味を兼ねているからのようなのだ。
タンブンとは、“現世で身に降りかかる出来事のすべては、前世での徳の高低によって決定される”と考える輪廻転生の概念がベースになっており、徳を積めば積むほど高くなり、それは次の転生時まで持ち越すことができるんだそうな。
で、現世が幸福なのは前世で積んだ徳が高かったことを示し、現世が不幸な人は前世での努力が至らなかったことを表しているんだそうな。
お寺に寄進したり、托鉢する僧侶に施したりするのはもちろんのこと、恵まれない人に援助をしたり、物乞いに施しを与えるのもタンブンなんだそうで、これは恵まれない人の為ではなく、より良い自分の来世の為の行為なんだそうな。
そう言えば日本にも「情けは人の為ならず」ということわざがある。
人に情けをかければ、それは巡り巡っていつか自分に返ってくるから、人に親切にしなさいという意味。
このことわざがタンブンの考え方に近いのかもしれない。
人に何かをしてあげて、救われるのは実は自分であるということ。
人の役に立っていると感じることで、充足感を感じるのは自分自身だということ。
タイ人ならタンブンをするのは当たり前なので、声高に平等について語る必要がなく、結果的に平等イコール公正の概念が根付いたのだろう。
でも日本の場合、「情けは人の為ならず」ということわざでさえ、“情けをかけすぎるのはその人を甘やかすことになり、その人のためにならないから控えよう”と勘違いしちゃう人が多い程なので、なかなか難しいのだろうけど…。
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