終戦記念日に思う。
今日は『終戦記念日』。
日本という国と日本人のために、文字通り命を賭けて戦った人々に対して、心からの哀悼の意と感謝の思いを、この「終戦記念日」という日に捧げることは、今この平和な国に生きる日本人として当たり前のこと。
できれば靖国神社へ行くのが一番なのだが、家で高校野球を見ながら、サイレンに合わせて黙とうを捧げるだけでも十分だから、今日と言う日は少しだけでも彼らの事を考え、感謝しようではないか。
学生の頃、「日本は植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と、村山談話そのものな歴史認識をしていたボク。
なので、 アジアへ旅行することを後ろめたく感じて行けずにいたのだが、たまたまアパートの近くに台湾料理屋さんがあって、そこのママさんのツテで初めて行ったアジアが台湾だった。
台湾ではママさんの家族にいろいろお世話になったのだが、そこで一番センセーショナルだったのが、ママさんのお母さんとの出会いだった。
ママさんのお母さんは当時70歳位。戦時中の日本統治時代を生きた人なので日本語が上手い。
村山的歴史観を持っていたボクにとって、それはある意味一番会いたくない人だったのだが、そこには自分が教えられた歴史とはまるで違う、確かに戦争という悲しい出来事はあったけれど、日本人の行った政策を認め、日本人精神を尊び、感謝しているアジアの人が居たのだ。
そして、これまで「日本人ですいません」と思っていたボクが、「ああ、日本人でいいんだ。日本人でよかった!」と思えるようになったのだ。
以前書いた、ウチの奥さんのおばあちゃんが語った、タイに進駐していた日本軍の話もそうだったが、 基本的に当時の日本は、現地の人にもそれなりの礼節を持って接していた。
だから、台湾の人もタイの人も、当時を実際に生きた人たちはあの時代を大切に思い、懐かしく思ってくれているのだ。
残念ながら、ママさんのお母さんも、ウチの奥さんのおばあちゃんも既にこの世にいない。
真実を語れる人が次々と亡くなり、歴史がどんどん塗り替えられ、真実が捻じ曲げられている。
先人たちの思いを踏みにじるようなことしかしない現在の政権と、それをおかしいとも思わない日本国民は、メディアや先生の言葉を鵜呑みにせず、真実の過去を知ろうとして欲しい。
そして、日本を勝手に「悪」と決めつけ、傲慢な歴史観を振りかざして日本を貶めようとする人々に対しては、毅然とした態度を示すべき時はとうにやってきていることに気づいて欲しい。
日本のために戦争で命を落とされた方々に心から哀悼の意を表し、かつ命を賭して日本を守ろうとしてくれた方々に感謝しよう。
PHOTO:© G - Fotolia.com
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