聞く耳を持てない人。
どんなにアドバイスをしても、聞く耳を持てない人ってのがいる。
こういう人はきっと自分こそが正しく、自分を除くありとあらゆる人が間違っていると考えているのであろう。
だから、こういう人とは距離を置くのが正解。
だって、言うだけムダなんだから。
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どんなにアドバイスをしても、聞く耳を持てない人ってのがいる。
こういう人はきっと自分こそが正しく、自分を除くありとあらゆる人が間違っていると考えているのであろう。
だから、こういう人とは距離を置くのが正解。
だって、言うだけムダなんだから。
ボクはタイという国が大好きだ。
いや、大好きだったと言うべきか?
日本はがんじがらめで息苦しいのに比べ、タイにはイイ意味でのいい加減さがあって、なんだかのびのびとできたからだ。
でも、今やタイは東南アジアの中でも著しく発展した国家となり、昔のようなイイ塩梅では居られなくなってしまい、もう日本と大差ない息苦しさを感じる国になってきてしまったのだ…。
国としては発展してイイ事なのだろうが、あの頃の大らかさが好きだったボクにとっては、なんだか悲しい。
発展とイイ塩梅さは反比例し、息苦しさがどんどん広がってゆく。
そのうち地球全体が息苦しくなっちゃいそうで、なんだか怖い。
そもそも、こんなに息苦しい世の中でイイのだろうか?
バリバリ働くことがイイことなのか?
お金を儲けることが人生の成功なのか?
なんかちょっと考えちゃうなぁ~。
日本は暗黙のルールによって秩序が保たれていた。
それが、ヘタな権利意識を振りかざした人が増えたせいで、暗黙ではないルール=法律や条例 社内規定etc... で規制せねばならなくなってしまったのだ。
ウチの工場でも、以前は「ヘルメットをかぶりましょう」だったが、今は「ヘルメットなき者の入場を禁ず」になっている。
ボクの個人的な考えでは、工場の中でも危険な場所とそうでもないところがあって、そうでもないところだったらぶっちゃけ個々人の判断でヘルメットをかぶらなくてもイイんじゃないかと思っていた。
けど、そうやって自由度を上げると、『ここはヘルメットがマストでしょ!』ってところでもかぶらなくなってしまうのだ。
だから、一律で工場内ではヘルメットをかぶるように強制せざるをえなくなっってしまった…。
自由でいたいなら、ある程度までは不自由を我慢する必要がある。
ある程度の不自由すら我慢できないから、もっと規則やルールで不自由になってしまう。
これ、工場も社会も同じ。
“ここらへんで”っていう暗黙のルールを飛び越えちゃうヤツが増えたから、規制や法律が強化されちゃって息苦しい世の中になってゆく。
イイ塩梅では居させてもらえなくなってきてしまったのだ。