自分と違うものを受け入れる寛容さ。
よくもココまで綴れたなと思うほど、ず~っとカラヤンの悪口が書かれていて、要は高尚で奥が深いクラシックを、大衆に迎合したのが罪だと言ってるのだ。
でも、カラヤン指揮のベートーヴェン『運命』からクラシックの世界に入った庶民のボクとしては、「お前なんかクラシックを聞くな」と言われているようで、なんだかムナクソ悪い。
クラシックに限ったことではなく、このように周りに対して、居丈高で高飛車で頑固で理屈っぽく、自分は凄いと思ってて、相手を見下げる態度をとる人って多いけど、何故なんだろう?
マーチングをバカにするクラシックファン。
ビーチバレーやソフトバレーをバカにするバレーボーラー。
フットサルをバカにするサッカーファン。
さらには、外国人(欧米・白人系を除く)を差別する日本人。
方言を笑う人。
デブをバカにする人。
もう少し鷹揚で優しい心をもつことはできないのだろうか?
いろんな人がいて、いろんなことをやるから世の中面白いんであって、金太郎飴のように同じものばかりでもつまらない。
自分と違うものを受け入れることができる『寛容さ』が必要なのではなかろうか?
« タイ国国歌。 | トップページ | 出来る人が出来るとは限らない。 »
コメント