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2009/10/26

自分と違うものを受け入れる寛容さ。

511bn27nnl__ss500_「カラヤンがクラシックを殺した」という本を読んだ。

よくもココまで綴れたなと思うほど、ず~っとカラヤンの悪口が書かれていて、要は高尚で奥が深いクラシックを、大衆に迎合したのが罪だと言ってるのだ。

でも、カラヤン指揮のベートーヴェン『運命』からクラシックの世界に入った庶民のボクとしては、「お前なんかクラシックを聞くな」と言われているようで、なんだかムナクソ悪い。

クラシックに限ったことではなく、このように周りに対して、居丈高で高飛車で頑固で理屈っぽく、自分は凄いと思ってて、相手を見下げる態度をとる人って多いけど、何故なんだろう?

マーチングをバカにするクラシックファン。
ビーチバレーやソフトバレーをバカにするバレーボーラー。
フットサルをバカにするサッカーファン。

さらには、外国人(欧米・白人系を除く)を差別する日本人。
方言を笑う人。
デブをバカにする人。

もう少し鷹揚で優しい心をもつことはできないのだろうか?

いろんな人がいて、いろんなことをやるから世の中面白いんであって、金太郎飴のように同じものばかりでもつまらない。

自分と違うものを受け入れることができる『寛容さ』が必要なのではなかろうか?

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