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2009/10/26

自分と違うものを受け入れる寛容さ。

511bn27nnl__ss500_「カラヤンがクラシックを殺した」という本を読んだ。

よくもココまで綴れたなと思うほど、ず~っとカラヤンの悪口が書かれていて、要は高尚で奥が深いクラシックを、大衆に迎合したのが罪だと言ってるのだ。

でも、カラヤン指揮のベートーヴェン『運命』からクラシックの世界に入った庶民のボクとしては、「お前なんかクラシックを聞くな」と言われているようで、なんだかムナクソ悪い。

クラシックに限ったことではなく、このように周りに対して、居丈高で高飛車で頑固で理屈っぽく、自分は凄いと思ってて、相手を見下げる態度をとる人って多いけど、何故なんだろう?

マーチングをバカにするクラシックファン。
ビーチバレーやソフトバレーをバカにするバレーボーラー。
フットサルをバカにするサッカーファン。

さらには、外国人(欧米・白人系を除く)を差別する日本人。
方言を笑う人。
デブをバカにする人。

もう少し鷹揚で優しい心をもつことはできないのだろうか?

いろんな人がいて、いろんなことをやるから世の中面白いんであって、金太郎飴のように同じものばかりでもつまらない。

自分と違うものを受け入れることができる『寛容さ』が必要なのではなかろうか?

2009/10/07

タイ国国歌。

375c6bc0caed420729e9l初めてバンコクを訪れたときの驚きのひとつが、朝の8時と夕方の6時になると、あちこちに設置されている広報用のスピーカーから国歌が流れること。

その何が驚いたのかと言うと、駅でも道でもお茶の間でも、歩いている人たちは立ち止まり、しゃべっている人は黙り、座っている人は立ち上がり、直立不動の姿勢で国歌を聴き、または一緒に口ずさんでいたこと。

しかも、国歌の演奏が終わると何事もなかったかのように歩き出し、雑談がはじまり、よっこらしょと座りだし、日常の風景が普通に再開されるのだ。

軍国主義の象徴のように思われている君が代のことを思うと、あまりに日常に溶け込んだタイ国歌との違いに、なんとも複雑な思いを感じたものだ。

タイ人も小学校に入ると、1年生にとってはとても難しく、理解できない言葉で綴られている国歌を丸暗記させられ、始業前には国旗の掲揚を毎日行わされる。

本人の好みにかかわらず、そういうものとして教育されていく。

でも、だからって『タイ人は政府や王室に洗脳されている不幸な国民だ』と言えるだろうか?

ボクは、自国を愛し、自国の王様を崇拝し、自分がその国の国民であることにプライドを持っているタイ人が羨ましく感じる。

正々堂々と国歌を愛唱することができないことのほうが不幸せだ。

祖国を愛し、君が代を堂々と愛唱出来る日本国になるのは、難しいのだろうか・・・。

※タイ国歌の日本語訳
タイ国は、タイ人の血肉を結集して出来たもの
タイの国土は、タイ人のもの
国や国土を守れているのは
国民が団結し、平和を愛しているから
いざ戦いとなれば勇猛果敢に戦い
いかなるものにも独立を侵されはしない
そのためには、国民すべてが
最後の血の一滴までも、犠牲にすることができる
わがタイ国に栄光あれ、万歳!

※タイ国歌(YouTube)
http://www.youtube.com/watch?v=OBDKah2nnvw&feature=related

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