比較。
特に、ショックな出来事は子供のほうが大人以上に鮮明に覚えているもので、ボクの場合は逆上がりがそれだ。
当時、逆上がりができなかったボクは、休みの日に親と一緒に公園の鉄棒で練習をしていた。
そんな日曜の夕暮れ時、散々やってもどうしても上達しないボクを見て親が「Aちゃんだってできるようになったんだぞ!」と言た言葉。
これが今でもボクの記憶にこびり付いているのだ。
親としては、「だからおまえもできる!」「がんばれ!!」「あきらめるな!!!」と言いたかったのだろうけど、言われたボクとしては、『おまえはAちゃんより劣っている』と思われたと感じ、言われたことが正しいかどうかよりも、親がそういうふうに比較しているということ自体にショックを受けてしまったのだ。
これ、どういう意図や思いで言ったのか?を理解できればイイことなのだが、人間って比較されることには抵抗感を示すものだし、そうなると意図や思いが正しく伝わらなくなっちゃう。
だから、人を比較をするということは、あまりやってはいけない。
意図や思いがキチンと伝わることが大切なのだから、もし心で思っていたとしても、口や態度に出して比較をしてしまっては、伝わるものも伝わらなくなってしまうのである。
もちろん現代社会は競争社会であり、世の中に出れば様々な比較の嵐に揉まれるのだが、だからこそ、不必要な比較はしちゃいけないんだとボクは思う。
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