処世術。
人の真理として、いじめはなくならないと昨日言ったが、何もいじめを甘んじて受けろと言っているわけではない。
いじめられないような処世術を身に付けろとボクは言いたいのだ。
もちろん、人には向き不向きがあり、処世術が苦手な人も居るだろうが、処世術は社会に出てからむっちゃ役立つものであり、もしかしたら数学や国語のような学問以上に生きてゆくうえでは大切なものかもしれないとボクは思っている。
最近ではコミュニケーション論やマネジメント論などのように学問としても様々に研究されているのだから、小・中学校の授業でこれを学んだってイイくらいだ。
過去にいじめられていた多くの人は、今、生きている。
それは、その人なりの処世術を駆使して、生き延びてきたのだ。
ボクだっていじめられたこともあるが、ボクなりの処世術で生きながらえて、今こうして生きている。
ただただひたすらガマンするのだって、不登校になるのだって、相手の心理を読むのだって、それぞれの処世術である。
要は、とにかく“死なない道を選ぶこと”、これが処世術なのであり、どんなにイヤなことを言われてもされても、死を選ぶことだけは絶対してはならないのである。
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