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2006/11/29

失敗。

Image_52失敗とは、成功するためのステップであり、失敗を恐れて何もやらなかったら、失敗はしないかもしれないが成功もあり得ない。

そもそも、成功なんてものの確率はとても低く、一部のカンの鋭い人や天才的商才のある人でもない限り、何度も失敗を重ねるうちにやっと成功に辿り着くものなんだと思う。

なので、今回の失敗でクヨクヨしているよりも、次に何をやろうかワクワクしよう。

やりたいことは、コンプライアンスに反しない限り、何をやったってイイのだから!!

2006/11/25

工作。

Dsc02764オフィスの一角にコード類がごちゃごちゃに絡まっていて、しかもTAとルーターがジャマくさかったので、柱の出っ張りに合わせてコードの収納兼TA・ルーター置き場を作ってみた。

ただアルミ板を曲げて木ネジで留めただけだけど、それなりにいい感じでしょ??

って、仕事が溜まってるのにわざわざ休日出勤して、何をやってるんだ?オイラ・・・。

2006/11/17

責任者。

Dsc02510外国語を勉強していると、その言葉の本当の意味を理解しやすい。

もちろん日本語でもそれぞれの言葉は意味を持って出来上がっており、良く考えればなるほどと思えるのだが、如何せん普段何気なく使っているだけに、意外と理解しないまま使っていることって多いはずなのだ。

例えば『責任者』という言葉。

タイ語で、責任者という単語は『ผู้รับผิดชอบ(プゥーラップピットチョープ)』と呼ぶ。

この言葉を単語毎に訳すと、プゥー=~な者、ラップ=受ける、ピット=悪いこと、チョープ=良いこと、となる。

これを並べ替えると、『良いことも悪いことも全てをまとめて引き受ける者』ということになる。

言われてみればその通りで、責任者とは良いことに関する評価も、悪いことに対する責任も、全てを言い訳せず受けなくてはならない。

そう考えて改めて責任者という言葉を噛み砕いてみると、『責められ任せられる者』なのだということがわかる。

う~ん、ちょっと日本語のほうが気が重くなりそうではあるが、やっぱり任されたことに対する責めは言い訳せずに受けなくてはならないことが、文字から伝わってくる。

責任者らしくない責任者も多いが、そんな人にはこの言葉の意味を良~く理解してほしいものだ・・・。

2006/11/16

パン屋さ~ん。

Dsc02368毎週木曜日のお昼、わが社にパン屋さんが移動販売車で売りに来る。

なので、いつもは会社の仕出し弁当かコンビニ弁当なのだが、この日ばかりはパンの日になる。

もともとゴハンよりパン党な方なので来てくれるのは嬉しいのだが、ついつい買いすぎてしまうのがタマに傷かな?

ちなみにこの車、もちろんヤシカ車体で架装した車です。

2006/11/11

責任をとる。

8c54708b責任をとるってどういうことなのだろう?

今、ちょっと人生の岐路に立たされており、そのことについて相談したり話し合ったりしているのだが、「そりゃ責任をとらなきゃ!」ってみんな言う。

でも、じゃあ責任をとってどう行動するべきか?という話になると、それぞれ言うことが違うのだ。

人にとっては逃げに該当する行動が、ある人にとってはイチバンの正しい選択だと言う・・・。

う~ん、どうしたものか・・・。

結局、どんな選択をしたって人によって受けとめ方は違うわけで、“人にどう思われるか?”を気にしていたら何も行動できなくなってしまうだけなのだなぁ・・・。

当たり前だけど、自分の人生は自分で決めるしかなく、その選択に伴う『評価』も『批判』も全てを受け入れるしかないのである。

さて、いつまで悩んでいてもしょうがない。

そろそろ結論を出すことにするか!!

2006/11/09

業界団体。

Dsc02492我が社は日本自動車車体工業会の正会員なので、今日はこの団体の秋季大会に参加してきた。

業界団体というと何かダークなイメージがあるもんだが、ことウチの団体はクリーンで明るくいい雰囲気だ。

我々車体業界を取り巻く環境は決して楽観できる状態ではないが、それでもみんなが集まってワイワイやれるってことは大切だ。

深刻な状態だからってしかめっ面してても良くはならない。

こんな状態だからこそ、まずは明るくポジティブに生きることが今は大切なのかもしれない。

2006/11/08

役割と立場。

Image_51ボクは一応専務取締役だ。

なので、専務には専務の役割があるのだが、ボクはついつい良かれと思って自分の仕事の範疇を超えて人の仕事に手を差しのべたり、代わりにやってあげちゃったりしてしまう。

でも、そうやって良かれと思ってやった行為って、大概あとになって『やらなきゃよかった・・・』と後悔する羽目になる。

なので、人にはそれぞれ定められた役割と立場があり、それを原則としては超えてはならないのである。

「できる・できない」ではなく、「やるべきか・やらざるべきか」で考える必要があるのだ。

2006/11/06

先生の復権。

Image_48昨今のいじめ問題をある程度解消させるためには、まず親がやたらめったら先生に文句を言わないことからはじめるべきだ。

だって、昔だったら先生がいじめっ子のことを廊下に立たせたり、時にはぶん殴ったりして、『いじめはダメなんだぞ』って体で教えたもんでしょ?

なのに今のご時勢、そんなことやったら大問題になっちゃうじゃん!!

でも、人間としてまだ中途半端な間は、やっぱりある程度“恐怖心”で物事を教え込むことも必要なんだと思うんだよね。

なので、体罰だ何だと騒ぎ立てず、今はこんな時代だからこそ先生に任せてみるべきなのでは?

2006/11/04

昼の風景2。

Image_50 前回のキャッチボールに続いて、今度はバトミントンですか!?

ああっ!!バトミントン同好会の練習ね。

ちゃんと活動してたんだぁ~。

大会で優勝できたら、好きなもん食わしちゃるからガンバレよ!

2006/11/02

目標を定める。

Gum11_ph02021組織とは、共通の目的を達成させるために集まった『集団』である。

なので、まずこの集団が“何のために集まっているのか”を明確にしないといけない。

わかりやすく学生のサークル活動で例えてみると、みんなで集まってワイワイやりたい人と、全国大会での優勝をねらっている人とが混在していたら、ワイワイやりたい人は優勝を狙っている人を『んなムキにならなくても・・・』と冷ややかに見ちゃうだろうし、優勝を狙っている人はワイワイやりたい人を『なんて不真面目な・・・』と呆れてしまうと思うのである。

なのでワイワイやりたいサークルと、優勝を狙うサークルとをそれぞれつくり、それを望む人だけに入ってきてもらえれば、お互いがもっとハッピーになれるし、ヘタに意見がわかれないので目的達成への道のりも短くて済むようになるのだ。

だから、組織にはまず“共通の目的”が掲げられてなくてはならない。

そして、その共通の目的がしっかりと示されていれば、その組織を構成するメンバーそれぞれがブレずに行動できるようになるのである。

2006/11/01

処世術。

0315ns人の真理として、いじめはなくならないと昨日言ったが、何もいじめを甘んじて受けろと言っているわけではない。

いじめられないような処世術を身に付けろとボクは言いたいのだ。

もちろん、人には向き不向きがあり、処世術が苦手な人も居るだろうが、処世術は社会に出てからむっちゃ役立つものであり、もしかしたら数学や国語のような学問以上に生きてゆくうえでは大切なものかもしれないとボクは思っている。

最近ではコミュニケーション論やマネジメント論などのように学問としても様々に研究されているのだから、小・中学校の授業でこれを学んだってイイくらいだ。

過去にいじめられていた多くの人は、今、生きている。

それは、その人なりの処世術を駆使して、生き延びてきたのだ。

ボクだっていじめられたこともあるが、ボクなりの処世術で生きながらえて、今こうして生きている。

ただただひたすらガマンするのだって、不登校になるのだって、相手の心理を読むのだって、それぞれの処世術である。

要は、とにかく“死なない道を選ぶこと”、これが処世術なのであり、どんなにイヤなことを言われてもされても、死を選ぶことだけは絶対してはならないのである。

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